野里住吉神社 2010年 夏まつり

野里住吉神社の北之町枕太鼓

大正時代までは、登り竜が刻られた「ふとん太鼓」であった。それ以降は、太鼓運行に支障があり、台高が低く、軽量だった天満宮系の枕太鼓に変えた。現在の枕太鼓は、平成元年に新調された。(のざと誌p.32参照)

現在の枕太鼓台は、台車と分離できる仕組み。肩勢は上質の床柱を使用。

枕太鼓前の方々は、北之町を世話している地域人。枕太鼓の上に載っている方々は、未来の主人公。

汗を流しながら夜遅く活躍している奉仕団。商店街の中で宮入のため待機する風景。

枕太鼓を動かすには、肩背(かたせ)を持ち上げる必要がある。勇気ある地元の方々の支援があってこその祭。

枕太鼓の関係者は、夕刻に休憩を取ってから移動する。

通称丸池公園の西側で、北之町枕太鼓と他の地車が交流する瞬間。

野里住吉神社の中之町地車

旧地車は、二枚式幕地車で、屋根は折りたたみ式、見送り幕は加藤清正の虎退治。老巧化のため解体し、彫物の一部が残る。銅版は浪速住人の高松彦四郎彫物師。現在の地車建造年は、昭和30(1955)年で、植山義正師(岸和田檀尻大工)・木下舜次郎師(淡路彫刻)・金光要師(神戸彫刻)で、当時の名工を選んだ。天井は龍。中仕切り上段は、昭和30年の旧拝殿などの景観、下段は、岩見重太郎のヒヒ退治。現在の総彫刻地車は平成19(2007)年に修理補修。(のざと誌p.33参照)

地車祭りに見られるものは、「秀吉誕生」「羅生門の鬼」・「茨木童士」・「土呂幕」・「三枚板」・「朱雀」・「勾欄合」・「虹梁」等。

本殿へ宮入りする地車。大鳥居に向かって進行する時に、地車祭りを祝福する龍の踊りを演出する。

神車の正面で、奉仕団が休憩が休憩している。神車の彫刻は歴史の重みを感じさせる。

神車の側面には、修理補修した総彫刻が見られる。神車にライトアップさせる準備をしている。

地車の関係者は、夕刻に休憩を取ってから移動する。

2段式の屋根の上には、大工方による龍の踊りを演出しながら進行する。

野里住吉神社の東之町地車

平成3(1991)年地車屋根の修理。その時、文化11(1814)年棟板が発見。文化4年作の最古級の太子町の地車と言われ、2010年5月までの東之町地車は、その部類に入る。中古で購入され、日清戦争の図柄の彫物がある。そして、戦後は最大級の二枚幕式地車であったが、蒙華飾り幕は、戦災で消失。昭和30年代に背高を低くした三枚板式地車に交換。現在の新調地車は平成22(2010)年5月に地元在住の北川和孝師の製作である。(のざと誌p.33参照)

拝殿前から宮出する瞬間。奥の大鳥居に向かって進行する時に、外国人まで感動している。

JR塚本駅前の広場での景観。下部は肩背を支える方、大屋根には大工方の龍踊り。

本殿へ宮入りする地車。大鳥居に向かって進行する時に、見物者と龍の踊りを演出。

JR塚本駅前の広場での景観。肩背を傾斜・回転させている。大屋根には大工方の龍の踊り。

地車の関係者は、夕刻に休憩を取ってから移動する。(旧中津川)。

5月に新調した地車は、黄金色に輝く数千万円以上の貴重な物。文化遺産の誕生。

野里住吉神社の西之町地車

現在の地車は、明治時代の中頃、河内方面から中古で購入した二枚式幕地車。昭和10(1935)年頃、地車倉庫にある部材から組み立てた(組立式)。昭和29(1954)年頃、新品を購入。昭和31(1956)年頃、植山義正師の手で大改造。台八の木材には鯉の彫刻をし、猫を新調して脇障子に彫ものを入れた。地車は、折りただみ式であった大小屋根を固定式にした。屋根の天井は、龍の彫物があったが、格天井にに変え、前幕も新調。現在の飾目は、木下舜次郎師が彫った。地車には「源平屋島合戦図」・「羅生門の鬼」・「土呂幕」・「茨木童士」・「牡丹に唐獅子・「朱雀」・「緑葛」・「勾欄合」等が見られる。(のざと誌p.32参照)

要所は、土呂幕部分の柱を紅白の布をまいていたのものを、六枚の彫刻板に変えた。

正面拝懸は、以前は吊り懸魚で、地車の動きで揺れる仕組みだったが、現在は固定されている。

拝殿前から宮出する地車。大鳥居に進行する時の神秘的な大工方の龍の踊りは、見物者を感動させる。

本殿へ宮入りする地車。大鳥居に向かって進行する時に、龍の踊りを演出。地車の提灯は、電灯である。

地車の関係者は、夕刻に休憩を取ってから移動する。

この地車は、明治時代に購入し、昭和時代に開花した貴重な文化遺産。歴史の重みを感じる色彩である。

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